母の老い…40歳にして、私は初めて自分の人生を生きようと思った

母との暮らし

母の最期を意識するようになってから、

私は初めて、
自分の人生について真剣に考えるようになりました。

今まで私は、

母を守ることが、
私の人生なんだと思っていました。

母を最期まで支える。

それは娘として、
当たり前のことだと思っていました。

でも――

これは、
あまり褒められた話ではありません。

私は何度も、
「私は母の犠牲になった」

そう思ったことがあります。

もちろん、
母を恨んでいるわけじゃありません。

むしろ逆です。

母には感謝しかない。

誰よりも尊敬しているし、
誰よりも大切な存在です。

それでも、
心のどこかで、

「私の人生は、
母のためにある」

そんな窮屈さを感じていました。

私はずっと、母を優先して生きてきた

大学を卒業してから、

私はずっと、
家計を支える側でした。

大黒柱――

と言うと少し大げさかもしれませんが、

少なくとも経済的には、
母を支えなければいけない。

そんな気持ちで働いていました。

もちろん、精神的には、
母に支えられた部分がたくさんあります。

でも、

お金のこと。
老後のこと。
もし母に何かあったらどうするのか。

そんなことを考えるのは、
いつも私でした。

母子家庭じゃなかったら…
もっとお金があったら…
私はもっと自由に生きられたんじゃないか…

何度もそう思いました。

一人暮らしをしたかった。
好きな人と自由に恋愛したかった。

結婚も、
子どもを持つことも、
もっと自然に考えられる人生だったのかもしれない。

そんなことを思っては、
悔しくなっていました。

「犠牲」
という言葉が、
ずっと頭から離れませんでした。

自分だけ自由になることができなかった

家を出ようと思ったことは、
何度もあります。

でも、
できませんでした。

母を一人にするなんて、
親不孝だと思っていたから。

母は、父との離婚後
一人で私と兄を育ててくれました。

「大学は必ず行きなさい!」と
大学まで出してくれました。

仕事を掛け持ちして、
自分の人生を後回しにして、
必死に私たちを守ってくれたんです。

そんな母を、
自分が働くようになった途端、
置いていくなんて。

そんなの虫が良すぎる。

私はずっと、
そう思っていました。

周りから、
「親孝行だね」
と言われることもありました。

でも、
複雑でした。

私は、
そんな綺麗な気持ちだけで、
母と一緒にいたわけじゃなかったから。

感謝もある。
愛情もある。

でも、

苦しい。
自由になりたい。
逃げたい。

そんな気持ちも、
確かにありました。

母の病気、そして眠れない夜

母が大病を患ったのは、

私が37歳の時でした。

もしかしたら、

歩けなくなるかもしれない。
介護が必要になるかもしれない。

そう思うと、
怖くて、
夜眠れませんでした。

本当は、
母のことを心配しなければいけないのに。

私の頭の中にあったのは、
自分の未来のことばかり。

もし母が寝たきりになったら。

私はどうなる?

仕事は?
結婚は?
老後は?

そんなことばかり考えて、
また自己嫌悪。

なんて酷い娘なんだろう。

そう思いました。

8時間に及ぶ大手術。
約2か月の入院。

退院してきた母は、
驚くほど小さく見えました。

今まで出来ていたことが出来ない。

歩くのもゆっくり。

大好きだった裁縫も、
着物の着付けも、
絵を描くことも、

ほとんどできなくなりました。

私は、

母が老いる瞬間を、
目の当たりにしました。

私の人生は終わったと思った

母が退院したあと、

私は、
自分の人生を諦めました。

もう逃げられない。

母の最期を見届けるまで、
私はずっと母のそばにいるんだ。

そう思いました。

結婚も、
恋愛も、
自由も、

私にはもう関係ない。

私の未来は、

母の介護と、
母を看取ること。

そう決めつけていました。

でも、
母は必死でした。

毎日リハビリを続けて、
なんとか一人で歩けるようになった。

身の回りのことも、
なんとか自分でできるようになった。

奇跡みたいな回復だったと思います。

それでも、
できないことは増えました。

楽しみも減りました。
弱音を吐くことも増えました。

日に日に弱っていく母を見て、

私は苦しくて、
怖くて、
何度も逃げ出したくなりました。

夜、
一人で泣くこともありました。

母がいなくなったら、私には何が残るんだろう

母のことは大好きでした。

だから、
「早く自由になりたい」

なんて思ってしまう自分が、
本当に嫌でした。

そんな日々が続く中、

私は初めて、
母がいなくなった後のことを考えました。

母がいなくなったら、
私には何が残るんだろう。

誰を支えて生きていけばいいんだろう。

誰が、
私を支えてくれるんだろう。

私はずっと、
母を守ることを人生にしてきました。

でも、
母がいなくなったら….

今まで考えもしなかった、
自分の未来。

私は、
本当はどんな人生を生きたいんだろう。

ひとりで生きていくのか。
誰かと生きていくのか。

初めて、
自分自身に問いかけました。

私は、ずっと孤独だった

今思うと、
私はずっと孤独だった気がします。

母もいました。
兄もいました。
友達もいました。

でも、
自分の感情を吐き出せる場所がなかった。

父のこと。
母への感謝と苛立ち。
自由になりたい気持ち。
罪悪感。

そんな感情を、
誰にも話せませんでした。

ずっと、
自分の中で無理やり消化するか、
押し殺すしかなかった。

だから、
私はいつも、
どこか一人だったんです。

そんな私は、

誰よりも、
愛情を求めていたのかもしれません。

誰かに愛されたい。
誰かに支えてもらいたい。

誰かに、
「頑張ったね」
って言ってほしい。

ずっと、
そう思っていたんです。

40歳にして、私は初めて自分の人生を生きようと思った

母がいなくなった後、

私は、
ひとりで生きていくことが、
どうしても想像できませんでした。

これ以上、
孤独になることには、
耐えられないと思ったからです。

だから私は、
初めて思いました。

母を守ることだけが、
私の人生じゃない。

私にも、
幸せになっていい権利があるんじゃないか。

誰かを支えるだけじゃなく、

私も、
誰かに支えてもらっていいんじゃないか。

40歳にして、
私はようやく、
自分の人生を生きたいと思いました。

母の老いは、
私からたくさんのものを奪いました。

でも、
母の老いがなければ、

私はきっと、
「私自身も幸せになっていい」

そう思うことはなかったと思います。

母を守る人生から、
私自身を幸せにする人生へ。

まだまだ不器用で、
母に優しくできない日もある。

将来のことを考えて、
不安で眠れない夜もある。

それでも、
私はもう、
自分の人生を諦めたくありません。

母が私にくれた人生、
今度は、
私自身のために生きていきたい。

そう決意した頃、

私は、
今の夫と出会いました。

40歳。

私はようやく、
自分の人生を生き始めたんです。

プロフィール
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はじめまして。41歳のumeco(女)です。

40歳で結婚し、10歳年上の夫と二人で暮らしています。

子どもの頃の私は、結婚するとは思っていませんでした。

家庭に良い思い出が少なく、「家族を作る」ということに前向きになれなかったからです。
ましてや子どもを育てるなんて、自分には無理だと思っていました。

そんな私が40歳で結婚し、今は夫と二人、ささやかな毎日を送っています。

贅沢な暮らしではありません。
老後の不安もありますし、親のことも気がかりです。

それでも、
「今日もふたりでご飯を食べられてよかったな」
そう思える日々があります。

このブログでは、子なし夫婦の日常や家計のこと、夫婦のこと、将来への思いなどを等身大で綴っています。

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